【レアル・マドリー史上最悪の契約】アザールにカカも?ワースト16をランク付け
レアル・マドリーは決して移籍市場に大金を投じることを恐れず、クリスティアーノ・ロナウドやカリム・ベンゼマなど、クラブ史上最高の選手たちと次々に契約を結んできた。しかし、何が起こるかわからないのがサッカーだ。超高額な投資にもかかわらず、まったく活躍できなかった選手もまた多い。
そして、先日契約解消が決まったエデン・アザールもその1人だろう。大きな期待を背負ってチェルシーからやってきたベルギー代表MFだったが、度重なるケガで満足にプレーできず。1億ユーロという移籍金を考えると、ワースト契約の1つとして記憶されてもおかしくはない。
では、レアル・マドリー史上最悪の契約はどの移籍だったのだろうか?『GOAL』のマーク・ドイル氏が選出する。
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#16 ダニーロ(ポルト)|3150万ユーロ|2015年
ダニーロは後に、マドリーで受けるメディアやファンからの厳しい視線に対処するのは難しいと認めた。「どんな小さなミスでも、たちまち世界中に広まってしまう。小さなミスは巨大なミスとなっていくんだ。だが同時に、もちろん良いプレーの影響も非常に大きい」
そしてマドリーを離れた彼は、驚くべきことに現在も第一線で活躍中。2017年にマンチェスター・シティへ移籍すると、その2年後に加入したユヴェントスではポテンシャルを開花させた。
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#15 ジュリアン・フォベール(ウェストハム)|レンタル|2009年
マドリー史上最悪の契約ではないだろうが、最も「奇妙な」契約の1つだろう。1月の移籍市場で契約が発表されたとき、サッカー界全体に衝撃が走った。休みと勘違いして練習を欠席したこと、ビジャレアル戦の途中で居眠りしていたことなど、様々な話題を提供したが、買い取りオプションが行使されることは決してなかった。
なお、本人はビジャレアル戦の居眠りについて「そんなわけない。ベッドのほうが好きだよ」と否定している。しかし、マドリーでの彼の時間が短い夢のようであることを要約している。
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#14 ロイストン・ドレンテ(フェイエノールト)|1400万ユーロ|2007年
彼のようなキャラクターが最高レベルに達するための規律を備えていたかどうか、議論の余地はある。そして明らかなことは、デポルティーボ戦でベルナベウの観衆から容赦ないブーイングを受けた瞬間にマドリーで成功するという希望が潰えたことだ。
不安に苦しんだドレンテに対し、フアンデ・ラモス監督は「監督として彼のサポートに全力を尽くす」と明言した。しかしそれは実現せず、最終的にヘラクレスへ放出。そこでストライキが見出しを飾ることに。そしてラッパー活動に専念するため、29歳で現役を引退している。
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#13 アントニオ・カッサーノ(ローマ)|500万ユーロ|2006年
コスト自体は少額だったかもしれないが、損失は莫大だ。7試合出場でわずか1ゴール、態度は最悪、食生活はさらに悪化し、夜遊び三昧の日々だった。彼は後にこう語っている。
「マドリードのホテルのウェイターだった友人がいた。彼の仕事は、俺がセックスした後に3~4個のペイストリーを持ってくること。階段までもってきてもらって、俺が女をエスコートし、ペイストリーと交換する。セックス、食事、ペイストリー。完璧な夜だな」
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#12 ハビエル・サビオラ(バルセロナ)|フリー|2007年
「振り返ってみれば、もっとプレーできる場所にいればよかった」。スペイン時代をサビオラはこう振り返っている。
バルセロナ初期時代に見せた輝きをマドリーで見せることはできず。アリエン・ロッベン、ゴンサロ・イグアイン、ロビーニョ、ルート・ファン・ニステルローイがいる攻撃陣でレギュラーをつかめるとは到底考えられなかった。この移籍は、宿敵を悩ませただけだろう。わずか5ゴールにとどまり、ベンフィカへと移籍している。
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#11 ペドロ・レオン(ヘタフェ)|1000万ユーロ|2010年
レオンは2011年、「マドリーで屈辱を味わった」と認めている。「悪いことをした意識はない。できる限りのことはしたし、プロとして懸命にハードワークしたんだ」。だが、ジョゼ・モウリーニョはそうは思っていない。プロとしての意識の欠如に嫌気がさし、起用することはほとんどなし。そして記者から度重なる質問に対し、激怒している。
「ペドロ・レオンについて、まるでジダンやマラドーナ、ディ・ステファノのように君たちは話すな。彼は昨季ヘタフェでプレーしていたんだぞ! 彼の欠場を正当化する必要はない」
当然、わずか1シーズンで所属元へ帰っていった。
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#10 ヘイニエル(フラメンゴ)|3000万ユーロ|2020年
まだ21歳とマドリーで輝く時間は残されているが、今のところベルナベウで活躍するにはあらゆるレベルが達していないことを示している。到着当初は「New カカ」ともてはやされ、同胞のヴィニシウス・ジュニオールやロドリゴのような成功も期待されたが、まだクラブでトップチームデビューは果たされていない。
過去3シーズンはレンタルで過ごしてきたが、影響はほぼなし。ドルトムントでの2シーズンは失敗に終わり、今季加入したジローナでもラ・リーガでの先発はわずか5試合。復帰するチャンスはほぼ無いだろう。
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#9 ロベルト・プロシネチキ(レッドスター)|1500万ユーロ|1991年
バルカン半島史上最高の選手の1人であり、ヨーロピアンカップ制覇の立役者となった才能あふれるMFの加入には大きな期待が集まった。
マドリーでの3年間のハイライトは、クラシコでのゴールだろう。しかしそれも、1995年に宿敵へ移籍した事実によって覚えている人は少ない。ライバルでの失敗も慰めにはならないだろう。
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#8 ワルテル・サムエル(ローマ)|2500万ユーロ|2004年
支配的で冷酷なCBを求めるチームにとって最高の契約に見えた。だが、ローマからやってきた“ウォール”が相手に立ちはだかることはなく。ファビオ・カペッロも当時を回想してこう語っている。
「彼がレアル・マドリーで活躍できなかったという事実には、今でも驚いている。タイミングの問題だったかもしれない」
それも一理あるだろう。サムエルが2005年にインテルへと加入すると、すぐさま地球上で最も優れたDFの1人として伝説になったからである。
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#7 ニコラ・アネルカ(アーセナル)|3400万ユーロ|1999年
イギリスではすでに「才能はあるが気分屋のストライカー」として知れ渡っていた彼と契約するのは、大きな賭けだった。そして、それは報われなかった。わずか1シーズンしか続かなかった上、波乱万丈に溢れた1シーズンだった。
最初のゴールはクラシコ、さらにチャンピオンズリーグ準決勝バイエルン戦では2ゴールを奪ってみせた。しかし、クラブに対して「俺を犬のように扱った」と激怒してトレーニングを拒否し、45日間の活動停止を受けることに。計7ゴールにとどまっている。
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#6 ハメス・ロドリゲス(モナコ)|8000万ユーロ|2014年
すべてのサッカーファンと同様に、フロレンティーノ・ペレス会長も2014年ワールドカップでこのコロンビア代表MFに恋をした。端正な顔と類まれなスキル、スペクタクルなゴールで世界中を魅了したこの男は、かねてよりマドリー移籍を夢見ていた。そのため、加入は当然のことだった。
スペインでの最初のシーズンは公式戦17ゴールをマークするなど、期待を感じさせた。しかし、現在のマドリーにとって重要な転換点となった2016年のジダン監督就任で、ハメスのマドリーでのキャリアは事実上終了。出場機会はほぼなく、本人はある試合でメンバーから外れるように依頼されたとも主張している。
結局バイエルンへのレンタルとわずか8試合に留まった最終シーズンを経て、エヴァートンへと完全移籍。8000万ユーロの移籍金は無駄となった。ブラジル・ワールドカップで得点王に輝いて以降、彼の凋落を示す一例だ。
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#5 エルヴィル・バリッチ(フェネルバフチェ)|2600万ユーロ|1999年
ジョン・トシャック監督が惚れ込み、当時としては超高額な移籍金を費やしてマドリーにつれてきたが、加入後すぐに膝を負傷。トップレベルに到達することはなく、たった1ゴールにとどまった。1シーズンでトルコへとレンタルで戻っている。
本人は後に「メディアが私をマドリー最大の失敗の1つに挙げているが、気に入らないね。自分ではそう思っていない」と語っている。ファンは同意しないだろう。
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#4 カカ(ミラン)|6500万ユーロ|2009年
マドリーが当時の世界記録を破ってでも獲得したかった理由は理解できる。バロンドールに輝き、27歳と選手として最高の時期を過ごしていたからだ。彼ほどの“トレクアルティスタ(いわゆるトップ下)”は世界におらず、輝かしい未来が期待された。
だが残念なことに、スペインでの大半の時間はケガで欠場することに。ファンが願ったクリスティアーノ・ロナウドとの世界最高の関係は負傷で台無しとなり、モウリーニョ就任とメスト・エジルの加入で居場所はなくなってしまっている。
ラ・リーガ優勝はもちろん、彼のハイライトだろう。だが本人も「(マドリーでは)サッカーをプレーする喜びを少し失ってしまった」と振り返っている。
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#3 ジョナサン・ウッドゲート(ニューカッスル)|1830万ユーロ|2004年
マドリー史上最悪のデビュー戦と言えば? ウッドゲートの初陣を外すのは難しいだろう。2004年の加入直後、メディカルチェックでも発見できなかった負傷で約1年を無駄にすることに。そしてデビュー戦となるアトレティック・クルブ戦、彼は「『そうだ、戻ってきたんだ。自分の実力を見せてみろ』と思っていた」と燃えていたことを明かしている。
そしてデビュー戦の結果は、オウンゴールを決めた末に退場に。寛容なサンティアゴ・ベルナベウはスタンディングオベーションを送ったが、2006年にイングランドへと帰っていた際に文句を言う人間は1人もいなかった。
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#2 ルカ・ヨヴィッチ(フランクフルト)|6600万ユーロ|2019年
18-19シーズンの彼は、ヨーロッパの次なスター候補であった。ヨーロッパリーグ14試合で10ゴール、ブンデスリーガでのインパクトも強烈だった。だからこそマドリーは獲得へ法外な移籍金を支払ったのだ。
しかし、マドリーでは51試合でわずか3ゴール。期待に全く応えられなかったと言っていい。2022年夏にはフィオレンティーナへと移籍している。
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#1 エデン・アザール(チェルシー)|1億2000万ユーロ|2019年
エデン・アザールのマドリーへの移籍は、シーズン前のトレーニングの際に発覚した体重超過の瞬間から運命が決まっていたのかもしれない。
公平を期すために言うと、チェルシー在籍中はコンディションに問題はなく、ラストシーズンの活躍も凄まじかった。しかし、マドリーではケガに悩まされるづけることに。出場できたとしても、7年間プレミアリーグのスターであったチェルシー時代の姿から比べると、安っぽい模造品にしか見えなかった。
出場試合はたった76試合で、ゴール数も「7」。支払ったことストを考えると、彼以上に「マドリー史上最悪の契約」であると言える選手はいないだろう。
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