マリオ・バロテッリ:「世界で最も面白い男」の今
今でも彼はスポーツ界で最もカリスマ性のある選手のひとりだ。マリオ・バロテッリは、ポーカーフェイスで闘志にあふれ、筋骨隆々、そして類まれな反骨心を有する。
今を永遠に残すような自身の等身大の像を作ってくれと、アーティストに依頼したこともあった。
全盛期には誰もが「スーパーマリオ」ことバロテッリに魅了されていた。『タイム』誌の表紙を飾り、三大テノールのひとりであるルチアーノ・パヴァロッティ、政治家のシルヴィオ・ベルルスコーニ、女優のソフィア・ローレン、ファッションデザイナーのジョルジオ・アルマーニとともに、イタリアの超有名人が集まる会員制クラブの会員でもあった。
『スポーツ・イラストレイテッド』誌はバロテッリを「世界で最も面白い男」と呼び、公平に見ても言い過ぎとは言えなかった。
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「永遠にイタリア代表でプレーする」
バロテッリは若く才能にあふれ、自分の考えをまったく恐れることなく口にした。彼のユーロデビューは、当時人種差別撤廃運動が激しかったイタリアで、大きな影響力を持った。イタリア北部のブレシア出身の夫婦に育てられたガーナ移民の息子で、サッカー界のスーパースターになる才能があっただけでなく、同世代に最も影響力のあるスポーツ選手のひとりになる才能もあった。
多くの子どもたちがバロテッリのようになりたいと思っていた。彼の特徴的なモヒカン刈りは2012年のイタリアで最も注文される髪型だったし、代表チームに入っただけで、イタリアのアイデンティティとは何かという長く決着のつかない論争を巻き起こした。
「俺はイタリア人だ」と、18歳になって遅まきながらイタリア国籍を保証されたバロテッリが宣言したことは有名である。「俺はイタリアの心をもっている。永遠にイタリア代表でプレーする」
ところが、その後の10年間、バロテッリは素行の「悪さ」で周囲を戸惑わせることになり、名声の落とし穴の悲しいシンボルとみられるようになっていった。
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「その時代は終わったと考えている」
今、バロテッリはまだ32歳だが、2018年以降、イタリア代表としてプレーしていない。そのことに驚くべき理由は2つある。第1に、イタリアが今、ストライカー不足に陥っていること。第2に、現在のロベルト・マンチーニ監督はバロテッリを最大限活用してきたサッカー界には珍しいタイプのひとりということだ。
最近、マンチーニ監督は、イタリアの放蕩息子を代表に戻すかどうか問われたとき、こう答えた。「その時代は終わったと考えている」
アズーリの監督がもうバロテッリと一緒には何もしたくないとしても、その理由はわかる。バロテッリは、これまでの10年で自分の価値を証明するチャンスを十分に与えられながら、何度も何度も失望させてきたのだ。
この9年間で8つのクラブを渡り歩いたが、本当にちゃんと活躍できたのは、2016年から2018年にかけて、当時のリュシアン・ファーヴル監督が率いていたニースにいたときの2シーズンだけのように思える。
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「マリオにはもっと期待していた」
だが、バロテッリにはまだ才能がある。
つい昨年、トルコのスュペル・リグのアダナ・デミルスポルに所属していたバロテッリが、いくつかシザーズを入れた後、大胆きわまりないラボーナでゴールを決めたときの映像は、大いに拡散された。
Stop what you're doing and watch one of Mario Balotelli's five goals today 😱 pic.twitter.com/AEXTMZQTcd
— GOAL (@goal) May 22, 2022これは、バロテッリが決めた5ゴールのうちのひとつだった。しかし、トルコでの時代は予想どおり早々に終了した。バロテッリは、今シーズンの初め、ヴィンチェンツォ・モンテッラ監督とタッチライン越しに大喧嘩をした後、チームを離れた。同じイタリア人の監督との争いは自制すべきであった。
「私が言えるのは、マリオにはもっと期待していたということだけだ」と、モンテッラ監督は、バロテッリがプロになってから何人もの監督が言ってきたことと同じことを言った。
「試合の最後にはよく起こることだ。アドレナリンがあんなことを言わせるんだろう。だが、私に言ったことで、ここでの彼は終わった」
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「ライフスタイルの選択」の失敗
スイスのFCシオンのキャリアも、早々に終わってしまうかもしれない。所属クラブのファンが、明らかな努力不足を理由にスタンドでユニフォームを燃やすなどということが起こった以上、明るい未来が想像できないのは仕方ない。
バロテッリは、モンテッラ監督と大喧嘩をした直後の8月にスイスに着いたばかりだが、18試合に出場して6得点している。それでもバロテッリの心がもうそこにないと大勢が思っていることに抗議するようなことは何もしていない。
初めて到着したとき、バロテッリはFCシオンへの加入は「ライフスタイルの選択」だといった。契約締結の直後にはローザンヌのナイトクラブから救出されている姿も…。ピッチ上よりもピッチ外で楽しむことのほうに興味があるという見方が出るのも致し方ない。
だが、バロテッリはバカではない。自分が「扱いやすい人間ではない」とはっきり自覚している。自分が多くの間違いを犯してきたことを知っている。2010年にさかのぼって、サン・シーロでインテルのファンの前で自分のシャツを地面にたたきつけたことには、今でも苦い後悔を感じている。
「あれですべてがダメになったし、自分が間違っていたことはわかっている」と、最近、Muschio Selvaggioというポッドキャストで語っている。「だけど俺はまだ19歳だった。2、3回ボールを奪われたからって、どうしてスタジアム全体が俺をバカにするのか、わからなかった。あの夜は家に帰って泣いた」
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「スポットライトがいつも俺に当たっている」
彼を批判する人々は、きわめて正しく反論する。だが、どうしていつも彼なのか? どうしてバロテッリはいつも論争の真っただ中にいてしまうのか? 本人は、その理由のひとつは彼の肌の色だと主張するかもしれない。
「スポットライトがいつも俺に当たっている」と、バロテッリは指摘する。「俺自身の性格とか、10代にしては才能があるとかいうレッテルの他に、俺がイタリア代表に初めて選ばれた黒人だからってことも、みんながいつも俺がピッチ外でしたことを噂する理由のひとつだ。同じことをしているサッカー選手がいても、俺だけが……」
バロテッリは以前、インスタグラムにこう書いていた。「俺はロボットじゃない。伝染病でもないし、バカでもない。やっかいごとを避けて、不必要な緊張を生まないように、多くの場合、俺は返事をしない。だけど、俺は全部聞いているし、見ている。それが積み重なって、爆発することもある」
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「この道を進んで幸せだった」
一方で、バロテッリは、プロ入りしてからしばしば、「実力の20%」でプレーしていたことも認めている。
彼の元代理人のミノ・ライオラは、バロテッリがなまけて規律違反をしているから、「リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドがあんなに何度もバロンドールを受賞できたのだ」と繰り返し言っていた。
今は亡きライオラは、誇張した言い方をすることで有名なのは知られているが、さかのぼること2012年、バロテッリは本気で、自分は世界最高の選手のひとりになれると思っていたようだ。彼はそういう人間であり、そのためにその後の苦闘がより大変なものになってしまった。
バロテッリは、引退するときには「この道を進んできて幸せだった」と言うと話している。「あと4年、高いレベルで」プレーできると強調している。だが、遅まきながらその才能を発揮するという希望はずいぶん前から色あせている。
もちろん、バロテッリは、素晴らしい選手であり続けている。普通ではない人生を送っていることは否定できない。だが、おそらくサッカー界でその才能を最大限発揮できなかった選手の一人として記憶されてしまうだろう。