旗手怜央が語る現在地。「セルティックで結果を残せたからこそ、次にチャレンジできる」

20230614-hatate-furuhashi-celticGetty Images

 川崎フロンターレから2022年1月、スコティッシュ・プレミアシップのセルティックに移籍した旗手怜央。GOALでは、川崎F時代から旗手を追ってきた記者によるロングインタビューを実施。この1年半を振り返った前編から続く後編は、セルティックでの成長、プレーヤーとしての思い、そしてカタール・ワールドカップと日本代表について語る。(聞き手:林遼平)

◎欧州への挑戦、CL、ポステコグルー監督について語る前編はこちら

■セルティックで感じる成長

 グラスゴーに渡り、「日本とは全く別物のサッカー」に接するなかで、フィジカル、技術においても新たに身につけたものがある。競技面だけではない、日本とは異なる環境の中でプロ選手として接する、欧州のフットボール文化。精神面も含めて「成長した」という実感があると口にする。

以下に続く
20230614-celtic-hatateGetty Images

――スコットランドに来てから成長したと感じている部分はありますか?

 成長という点で言えば、ターンしたり、狭いエリアでもボールを失わなくなったりしたことです。こちらはマンツーマンで来るチームが多いので、DFの選手が僕にガッツリ付いてきます。そのDFの選手は大きくて速くて強いみたいな選手が多い。そういう選手たちと対峙しても、ボールを失わないような身体の使い方や足元の技術はすごく学べたと思います。

 Jリーグの時は結構、身体が強くてキープできた部分もありますけど、それだとキープができない。頭を使って、どれぐらいの距離感だったらターンができて、キープできるのかを考えていますし、ここまで行き過ぎるとダメだなという感覚がつかめました。そこは成長できた部分じゃないかなと思います。

――Jリーグの時はフィジカルだったら負けないタイプでした。やはり筋トレの重要性を感じていますか?

 それこそ最初の半年は試合に出て練習するのが精一杯だったので、そこにあまりフォーカスができなかったですけど、今シーズンに入って筋トレもすごくやりました。こちらのスタッフと、「よりスピードも大事なので」という話もして、自分でやりたい筋トレプラス、そういうスピードを付けるトレーニングに取り組みました。今では負ける時もありますけど、勝つことが増えたので、そこは今シーズン取り組んだ成果かなと思います。

――セルティックのサポーターはすごいとよく聞きます。

 いい意味で本当にクレイジーです。サッカーが日常なんだなと本当に感じます。土曜日に試合があるから平日頑張って仕事をやって、試合を見に行って、勝って、みんなで酒飲んでみたいな感じが文化としてありますよね。みんな熱いし、勝てば祝福してくれます。

 一方で、負ければブーイングされるのが当たり前。昨年はいいプレーができなかった時に、1試合だけでしたけど、ボール持った際にブーイングされました。そういった経験もできたので、本当に素晴らしいサポーターだなと思います。

――そういったサポーターのすごみを経験できるのも大きいですね。

 海外でやっていると、サッカー以外のところですごく多くの経験ができると思います。私生活もそうですし、ピッチ上でも芝の硬さや長さも違うし、天候も違う。それにサッカーの文化が違うんです。

 ロッカー(などの施設)で言えば、日本のほうがいいですよ。アウェイに行ったらユニフォームの幅しかないスペースの場所もあります。そういったすべてのことを含めて経験できるのがいい。そういった経験ができることが選手としてより強くさせてくれるのかなと思います。

――人間的に成長したところもありそうです。

 それは強く思うというか、声を大にして言いたい部分でもあります。やはりサッカーだけじゃないんだぞと。こっちではいろいろな苦労をして、それこそピッチ上では競争があって、言語が違う中で自分のやりたいことや、チームのやりたいことを聞かないといけない。そういう部分でも戦わないといけません。それに加えて、ピッチ外では全く違う環境、違う文化の中で生活しないといけない。日本でやるのとは別物だと思います。

■ターニングポイントは川崎F時代

 もともと攻撃的な選手だった。プロとなってからも「ウイングやFWをやりたい」といった葛藤もあったという。しかし、今やボランチ、インサイドハーフ、サイドバックと多くのポジションをこなし、プレーの幅を広げている。

20230614-kawasaki-oniki-hatateGetty Images

――日本や海外でプレーしてきた旗手選手ですが、ご自身のキャリアの中でターニングポイントだったと思う時期はありますか?

 やはり川崎でサイドバックをやったことが一番のターニングポイントだったと思います。そのポジション変更のおかげで試合に出られるようになりましたし、オリンピック(東京五輪)に出ることができました。それに今のインサイドハーフをやるきっかけにもなったと思うので、あのタイミングでSBを経験できたからこそ、今の自分があるのかなと思います。

――SBを経験したことで、自分の中のサッカー観や幅みたいなものが広がったのでしょうか?

 正直、すごく広がりました。それこそ川崎のSBはノボリさん(登里享平)や(山根)視来くんがプレーしていて、二人を見てSBの重要性に気づきましたし、サイドバックをやり出してから、より攻撃的なポジションの人の考え、「ここにいてくれたらバックラインの選手が持った時にありがたいんだろうな」というのをすごく感じるようになりました。そのポジションをやったおかげで、今の自分のインサイドハーフ像が作り上げられたのかなと思っています。

――もともと前の選手だった中で、そういう経験でサッカー観が変わるのは面白いですね。

 もちろん最初は葛藤もありました。ただ、鬼さん(鬼木達監督)が「SBだけどSBの型にハマらなくていいよ」と言ってくれたことも大きかった。「ノボリさんがやっているようなSBをやってほしいと言っているわけじゃない。お前のSB像を作ってほしい」と。その言葉はすごく前向きにさせてくれたし、「やってみるか」と思わせてくれたなと思います。

――ここまで話を聞いていると、鬼木監督、ポステコグルー監督と、いいタイミングでいい指導者に巡り合っているんですね。

 鬼さんはプレー面もそうですけど、気持ちの部分もすごく言ってくれましたし、アンジェさんはよりインサイドの選手として生きていくための術をいろいろ教えてくれた。お互いに考えや意見は違うんですけど、僕に対していま必要なことをヒントとして与えてくれるところは似ていると思います。

――そういう人たちとの出会いもありながら成長し続けている中で、自分の中のプレーの理想像みたいなものはありますか?

 いまインサイドハーフをやっていて、守備もできて、攻撃でもゴールやアシストができるというのは、このリーグでも形になってきたと思います。あとはそれプラス、ゴールを決める起点、アシストの前の起点にもなって、一人で完結できてしまう選手になりたいなという思いがあります。

 特に監督や一緒にやっている選手にとってありがたい選手になりたい。例えば、(三笘)薫みたいに華やかに人を抜いて誰が見てもうまいという選手ではないけど、一緒にプレーしている人なら分かるというか、監督からしたら使いたいと思えるような選手になりたいなと思っています。

――一人で完結するという話を聞くと、ヨーロッパならデ・ブライネやベリンガムのような選手が思い浮かびます。

 最近はずっとデ・ブライネのプレーを見ています。シティの試合は毎回絶対見ているんですけど、シティを見てるというかデ・ブライネやギュンドアンばかり見ていて。彼らのような試合を一人で決めてしまえるようなプレー、なおかつ守備の部分でもハードワークをする。そういう選手になりたいですね。

■日本代表、出場のチャンスがあるならば

 旗手は22年9月、カタールW杯直前の欧州遠征メンバーに招集されている。しかし、デュッセルドルフで開催されたキリンチャレンジカップ・アメリカ戦、エクアドル戦での出場はなし。結局、W杯本戦メンバー入りは叶わなかった。迎えるこの6月シリーズで代表復帰するが、カタール大会をどう見ていたのか。悔しい思いをしたからこそ、セルティックでの日々を大切に積み重ね、新たに見えてきた未来像もある。

20230614-celtic-hatateGetty Images

――少し代表についても話を聞かせてください。カタールW杯はメンバーに選ばれませんでした。当時はどんな思いを抱いていたのでしょうか?

 直前の合宿で一試合も出られなかったので「入らないんだろうな」とは思っていました。でも、やはり目指していた場所だったので入れないと聞いた時は本当に悔しかったです。それに「悔しい」と思える気持ちがあったことで、諦めていたところはあったと思いますが、どこかで頑張って目指そうとしていたんだなと思い、次につなげなければいけないなと思いました。

――カタールW杯はどのように見ていましたか?

 ピッチで選手たちが感じてプレーしたことが正解だと思っているので、あまり自分が入ったからどうこうというのは考えていませんでした。だからこそ、一人のファンとして頑張って応援していた部分があった一方、やはりここに立ちたいなという思いを持ちながら見ていましたね。

――そういった経験があったからこそ、次のW杯は一つの目標になっていますか?

 長期的に考えた時に自分の年齢も29歳で、ちょうどいいというわけではないですけど、一回でも経験したい舞台ではあります。そこがラストだと思って、頑張って入って、入るだけではなく試合に出て活躍できればいいかなと思っています。

――ご自身の中で代表に入って行くために必要なことは何だと思っていますか?

 もちろん代表を目指してやっていくのもいいと思うんですけど、やはり毎日の積み重ねがそこに繋がっていくと思っています。毎日の練習や試合を疎かにしていると、そこにはたどり着けない。クラブでの日々をまず大事にして、その結果、頑張ってきたからこそのご褒美として代表がついてくると思っています。毎日をしっかり大切に頑張っていく必要があると思います。

――今回の6月シリーズでは代表入りしました。カタールW杯後初めてのメンバー入りですが、どんな思いがありますか?

 今の僕のような立場を考えた時に、やはり一回一回の活動が重要になってくると思っています。試合に出られるかどうかは分かりませんが、出られるチャンスがあるのであれば、自分のプレーをしっかり出せるように頑張りたい。それに日本でプレーできるのは、日頃応援してくれている方々にプレーで恩返しができるというのもあります。名古屋の試合は、僕の出身地である三重県に近いので知り合いの方も来てくれると思うし、そういった方々の前でプレーできればいいなと思います。

――今後のキャリアについてはどのように考えていますか?

 やはりステップアップというか、チャンスがあれば、いろいろなリーグでプレーしたいという思いがあります。サッカー選手なので、シーズンを通してレベルの高いところでやりたいのは誰しもが思っていることだと思います。そういうところまで行かないと海外に挑戦したということにならないのかなという思いもあるので、高いレベルでプレーしたいです。

――そういう思いが強くなったのはセルティックでプレーしたことが大きいですか?

 そこは本当に大きいです。Jリーグにいた時は、五大リーグでプレーしたいなんて「無理」みたいな感じだったと思います。ただ、セルティックでシーズンを通してある程度、結果を残せたからこそ、次にチャレンジできるんだったらしたいという思いが生まれました。チャンスがあるのならチャレンジはしたいです。

 もちろんこのチームに残ればまだまだいい経験もできますし、来季はCLもあります。常にトップに立って戦うことでメンタル的にも強くなると思うので、残ったとしてもいいところがたくさんあります。ただ、それをしっかり経験させてもらったので、もう一個上のリーグでやりたいという思いはありますね。

◎欧州への挑戦、CL、ポステコグルー監督について語る前編はこちら

2023-06-14-hatate-interviewChoco Sasaki-Burns

Profile
旗手怜央(はたて・れお)
1997年11月21日生まれ、25歳。三重県鈴鹿市出身。ポジションはMF、SB。171cm/70kg。四日市FC-静岡学園高-順天堂大を経て、2019年に川崎F加入。22年1月よりセルティックへ完全移籍。日本代表国際Aマッチ1試合出場。